↓第1話↓
←第9話原子力発電所で働いてエライ目にあった話「第九話 車内ニート」
何をするでもなく過ぎる日々
翌日からもやはり仕事はさせてもらえず、
流石に延々と漫画や雑誌を読むのも申し訳ない気がしたズイ…
周りから見えないようにコソコソと車内の掃除をしたり、
結局それだけは毎日8時間も潰せるはずもなく…
本を読むことにも飽き飽きしていた私は何もせず、
何もすることが無いのがこんなに辛いとは…
家であればいくらでも時間を潰せただろうが、
ボーっと過ごすといっても無心にはなれず、頭だけは良く働いたズイ
なんで自分はこんなところで何もしないでいるんだろう…?
どうしてこんなことになったんだろう…?
どこで道を間違えたんだろう…?
考えるほど時間は進むが、考えるほど卑屈になった…
この先どうすれば…
そんな事ばかり考えながら時間だけが過ぎていったズイ
10代最後の夏
車内で悶々とした日々を過ごしているうちに6月も過ぎ、気付けば7月になっていたズイ
日差しもきつく、気温も高い…
普通ならこんな時期に絶対働きたくないだろうけど、車内で毎日8時間も軟禁状態だった私は働きたくて仕方なかったズイ
働いているうちは嫌なことを考えなくて済む…
それに皆が汗だくで帰ってくるのを見る度に罪悪感と申し訳ない気持ちでいっぱいだったから…
初めて病院に行ってから2週間は過ぎていたズイ
膝の調子も回復し、薬を飲まなくても日常生活で痛むことはなくなっていたズイ
月替わりでキリもよかったので私は親方にもう働けることを告げたズイ
親方は
「今回の定期点検工事が終わるまで車内におってもいいぞ」
と笑いながら言ってくれたが、流石に後1カ月も缶詰状態が続くのは耐えられない…
私が濁しながら事情を話すと親方は
「現場入る以上はある程度仕事せなあかんからな?まぁ、軽い仕事優先で振るけどキツかったらすぐ言えよ」
相変わらず親方は優しかったズイ
久しぶりの仕事…膝の心配はあったが、こんな親方の下で働けるなら大丈夫
そんな安心感があったズイ
親方の仕事術
翌日から2週間共に過ごした車と離れ、親方達と一緒に出て現場に向かうことができたズイ
久しぶりに建屋の中に入り、当時担当していた足場の現場に向かったズイ
現場に着くなり親方は仕事を教えてくれたズイ
できるだけ膝に負担を掛けないように配慮してくれたのか、足場組みに使うジョイントの段取りや「番線」という針金のカットなどの軽作業をすることになったズイ
親方は仕事中に時々作業している足場から離れ、全体を見渡しているような事があったズイ
ある時、親方が私を呼んだズイ
親方は私に
「足場っていうのはその場所に最適な組み方をせなあかん、しかもここの仕事は工期も厳しいから大変やぞ
大事なのは足場を組む現場を見て、頭の中でどう組んでいくかを考える…
どれだけ資材が必要か?人員と工期は?出来た後に使う側からして便利か?
長いことやってるとある程度は簡単に頭の中でできるようになるんやけどな…」
親方は新しい現場で足場を作る前は現場の周りを練り歩き、少し考えを巡らせた後必要な資材を紙に書く…
その紙に書かれた資材を搬入し足場を組む、という一連の流れだったズイ
驚いたのがその紙に書かれた資材だけでほぼキッチリ仕事が収まるということだったズイ
1日で終わる仕事じゃなく、1週間以上かかる規模の仕事で毎度そうだった…
足場ができる度に親方は余った資材を見て
「まぁこの辺は予備で二つ見てたからOK、アレは丁度やったなぁ」
なんて答え合わせのような事をしていたズイ
親方いわく
「多く入れすぎて余ったら戻しに行くのがしんどい、少ないと途中で取りに行ったりで仕事が止まる
頭で組んだ資材の数と実際の数をチェックして詰めていく、予備も考慮するけどドンピシャやったら楽しいぞ!」
笑いながらそう言っていたが、百単位で使う資材を頭で殆ど誤差なく組める親方はおかしいと思ったズイ…
「どうやったらそんな事できるようになるんですか?」
当然の疑問をぶつけたズイ
「そんなもん経験や!俺は勉強とかは全然だめやったけど、資材運び嫌というほどやったからな
どうやったら楽できるか考えながら仕事してたらいつの間にかできるようになったわ(笑)」
簡単そうに言ってくれるなぁ…そう思う私に親方は
「まぁ最初は足場組んでる人見て、次にどう動くかを予想しろ、
予想できたら次に使う工具・資材を当てろ、次はどう組んでいくかもな
そうやってどんどん先を読んで行ったらいつの間にか全ての仕事ができてるわ」
というアドバイスをくれたズイ
それからは親方に言われたように人の動きを見て「次の行動、必要な工具・資材」を当てれるように頑張ったズイ
もちろん最初はダメダメで
「それじゃないw」
なんて突っ込まれることも多かったズイ
それでも毎日やっていくうちに徐々に当てれるようになり、段取りの効率は良くなっていったズイ
(この時の親方のアドバイスは今になっても生きていて、仕事をするうえで大いに役に立っているズイ)
軽作業・手伝いばかりだったが、親方に言われたように常に次を考えながら仕事するのはゲームをしているようで楽しかったズイ
気付けば7月も中旬、定期点検工事も半分を終わった頃になっていたズイ
給料日
親方の下で日々働いてた私、相変わらず社長からは連絡はなかったズイ
別の現場にいるFA親父ともほとんど顔を合わせることもなく、私はブラック工業から忘れ去られたようだったズイ
その方が居心地がよかった私は気に病むこともなく都合がよかった
そんなある日親方は仕事の帰りに
「今日6月分の給料渡すわ」
といってくれたズイ
××工業の給料日は月末締めの20日払いだったようで、本来関係のない私は知る由もなかったズイ
乗り合いの車から降りる際に親方は封筒を渡してくれたズイ
親方は周りに聞こえないよう
「本来うちの社員じゃないから明細は入ってない、ブラック工業の時より日給は上げてるから後で確認しとけよ」
そう言って車を出した
家で封筒を開けると日給は1万円、勤務日数は車内ニートをしていた分も含まれていたズイ
ブラック工業では8000円だった、あれだけ迷惑かけて仕事もしていないのに…
給料をもらえたこと、日給が上がっていたこと、仕事をしていない分も含まれていたこと
何もかも予想外だったズイ
申し訳ない気持ちもあったが、2か月振りの収入は本当にありがたかったズイ
自分の進む道
それからも親方の下で毎日仕事に励んだズイ
定期点検工事は3か月の期間だが、やはり試運転などの兼ね合いもあるのか私たちのような足場・機械屋は2ヵ月ほどで全工程を終えるようだった
××工業もその例外ではなく、8月の頭で請け負った仕事は完了する予定だったズイ
7月も終わりに近づき、足場の仕事も終わった私たちは撤収作業の手伝いをしていたズイ
工事で余った資材を乗せ倉庫に戻す、親方の段取りは相変わらず完璧で仕事は消化試合のようになっていたズイ
「予定より早く終わりすぎても仕事がなくなるからなぁ」
午前中にその日の仕事を終え、倉庫で皆で時間を潰していたズイ
そんな中親方は私に聞いた
「お前、この工事終わったらどうするつもりや?」
私はその質問に明確に答える事ができなかったズイ…
この仕事を始めて、ブラック工業で辛い目に遭って…でも親方に出会って…
仕事が楽しく思えてきていた私は
(親方の下でこれからも働けるなら…それなら…)
そんな考えがよぎった…
「辞めたほうがいい」
答えられなかった私に親方がそういった
「お前はこんな所で働くような奴じゃない」
「お前も散々痛い目に遭ったやろ、ここはまともじゃない普通に働けへんような連中が来るところや」
私はそれでも親方の下でなら働いていけると思ったズイ…
確かに酷い目に遭った、ろくでもない奴ばっかりだった、それでも親方はここにいた…
酷い原発の仕事の中で出会った唯一頼れる人だった
その人に「辞めろ」と言われたことが辛かった…胸が張り裂けそうになった
頭の中では車内に居たころ散々浮かんだ自分への劣等感・絶望がよぎった…
今さら辞めても他の道に進めるはずがない…
道を間違えた私はもう戻ることはできないんだ
それなのに親方は辞めろという…絶望する中でやっと見つけた希望が消えた…
結局私は何の返事もできなかった
「ちゃんと考えとけよ」
そう言って離れていった親方の後ろ姿すら見ることができなかったズイ…
終わり
親方と話した日から私の心は迷い続けたズイ…
考えても考えてもどうしていいのか分からない…
それでも仕事は続く、現場でいつもと変わらない親方を見るのが何故か辛かった…
そんな日々も長くは続かない、8月頭××工業はすべての仕事を終えた
最後の日は親方と一緒に所長に挨拶に行ったズイ
所長は
「お疲れ様、機会があったらまた今度宜しくな」
と社交辞令であろう言葉をくれたズイ…
「今度」とは一体いつの話だろうか、思いながらも何の意味もないことは分かっていた
原発を後にし、乗り合いの車で帰路につく…
家の近く、車を降りようとする際に親方が言った
「給料の件もあるから20日にまた連絡する、お疲れさん」
私は礼を告げ車を降りた、走り出す車を見て
「これで終わったんだ…」
と悟ったズイ…
涙
原発での仕事も終ってしまった、翌日からの事は殆ど覚えていないズイ…
おそらくただただ抜け殻のような日々を送っていたんだろう
10日ほど先の給料日に親方に会う…その時に何を言う?
「うちで働け」
なんて言葉を期待していたんだろうか
結局この時は暗闇の中で何をどうしていいのか分からず、手を差しのべてくれる存在を待っていただけだったと思うズイ…
そんな中、母親からの電話が鳴ったズイ
久しぶりの電話だった、私がこんなことになっているなんて知る由もなかっただろう
私は電話に出るか迷ったズイ
もし今、現状を聞かれたらなんて答えればいいのか…
それでも電話を取った…
辛い状況で、心も弱った中、画面に映った「母」という文字に甘えた
何も知らない母親はいつものトーンで
「誕生日おめでとう」
と言ってくれたズイ
「そういえば今日誕生日だった…」
20歳、成人になった息子の誕生日を祝ってくれた
私は「ありがとう」と言ったが生返事だっただろう…
しかし久しぶりの母の声と、誕生日を祝ってくれたこと
今まで溜め込んでいた心の中のいろんな感情が溢れ出したのを感じた
それでも平静を装う私に母は
「最近どうしてる?元気でやってるか?」
この一言で堰き止めていた私の感情は一気に爆発してしまった
涙が止まらない…呼吸は荒れ、言葉を出そうにも嗚咽が邪魔をする…
母親の声を聞くだけで胸が締め付けられるほど苦しい…
急に泣き出した私に何かあったと気づいたんだろう
母親はひとつづつ状況を聞き出してくれたズイ…
人生であれだけ泣いた事はなかっただろう、心を落ち着けようとしても上手くいかない、溜め込んでいた感情が暴走して邪魔をした
どれだけ時間が経ったのか、何を話したのかも分からない
やっと少し落ち着いた頃には実家に帰るという話になっていた
母はまた連絡すると電話を切った
電話が切れた後、私はそのまま倒れるように眠りについた…
別れ
翌日目が覚めた私の心は今までにないほど軽かった
散々一人で溜め込んでいた感情を全部出しきったからだろうか
泣きすぎて目が腫れているのが分かったが、心はとても穏やかだったズイ
顔を洗った私は母親に電話を掛けたズイ
昨日は感情が抑えきれず、何を話したかほとんど覚えていなかったから…
電話に出た母と今後のおおよその予定を建てたズイ
今日親方から給料を受け取って月末にアパートを引き払う、荷物の事もあるから父親と二人でこちらに来るという話になったズイ
家を出て学校にも行かず原発でエライ目にあっていた私は相当怒られたが、怒られたことより安心感のほうが勝っていたズイ
あれだけ辛く、悩んでいた事が数時間で解決してしまった
親の強さとありがたさを感じつつ、心配をかけてしまったことが申し訳なかった
給料日の今日は親方から連絡するということだったので私は電話を待ちつつ、引き払う準備を始めた
作業をしている間は余計なことを考えずに済んだのがありがたかったズイ
そして夕方、親方から電話がかかってきたズイ
「近くのコンビニの駐車場にいるから来てくれ」
私は急いで向かったズイ
駐車場にはいつもの乗り合いの車が停まっていた、親方が運転席から手招きする親方を見て助手席のドアを開ける
親方はいつもと同じ調子で「お疲れさん」と言いながら封筒を渡したズイ
「今開けて確認してくれ、ブラック工業の分も入ってるから」
てっきりもう貰えないだろうと思っていた私は驚きながらも封筒を開けた
中には2か月分の給料と手書きの明細が入っていたズイ
給料は30万円を超えていた、今まで一度にそんな大金を貰ったことが無かったので動揺しながら枚数を数える
数えている途中に親方は
「アイツ(社長)にも日給1万で出させたから、日数×枚数で合うはずや」
まさかそんな事になっているとは思わなかった私は更に動揺したズイ
数えた枚数と働いた日数は間違いがなく、親方のお陰で私は未払いだった給料も回収することができたズイ
私は親方に何度もお礼を言った、親方はそれが当たり前と言っていたが交渉するのは大変だったと思うズイ
「そういやお前、次どうするか決めたか?うちではもう雇えへんぞ」
私は…
「昨日親に事情を話して、実家に戻ることにしました」
そう聞いた親方は
「それがええ、どうせこの街に居ても面倒な事になるだけや」
笑いながらそう言ってくれたズイ
「ほな俺用事で行かなあかんから、お疲れさんやったな」
私は親方に心から感謝を告げたズイ
そして車を降り、もう一度頭を下げた私に
「頑張れよ!」
そう言って親方は去っていった…
私は親方には感謝してもしきれないほど助けてもらった、辛い仕事の中で最後に親方に出会えた事が本当に幸運だったズイ
この後、今に至るまでいろんな上司の下で働いたが、技術も人柄も親方を超える人はいなかったズイ
親方の下で働けてよかった、心からそう思ったズイ
おそらくもう二度と出会うことも、一緒に働くことも無いだろう
それでも親方に助けて貰ったこと、教えてもらったことはこれから一生忘れないものだろう…
人生で最悪の場所で出会った最高の親方に感謝しつつ、数日後私は迎えに来てくれた両親と街を後にしたズイ
実家に着いた私は久しぶりに何も考えずに眠ることができたズイ
翌朝目が覚めるといつもと違う景色…
私は実家に戻った事を実感するとともに、あの辛く苦しかった半年の出来事がまるで夢だったかのような感覚を覚えたズイ…
それでも私は確かにあの場所で働いていた、
そう…原子力発電でエライ目にあったことは決して消えることのない事実なのだ